お昼の休憩時間に構内を散策していて、教育学部の中庭で違和感を覚えました。 一度通り過ぎて引き返し、その違和感の正体に気付きました。高さ2.5mはあるだろう胸像に、マスクが着けられていたのです。
 「シャレたことをする人がいたもんだ。」と写真を撮ったのですが、「石井素」なる人物のことが気になって、帰宅してから、ネットで公表されている教育学部同窓会報を調べてみました。
 すると、「真の教育とは 教師とは」を問いかけるお話がありました。
 同氏は、大正5年に愛媛師範学校(愛媛大学教育学部の前身の一つ)を卒業されて教職に就かれた方で、昭和3年8月1日、登山の途中で一本橋から足を踏み外した生徒(17)を助けようと川に飛び込み、連日の雨で増水した激流に呑まれ、生徒共々溺死された(享年33)とのこと。
 当時の新聞報道で「殉難教育者」という見出しがありました。
 “身を捨てて教へを後に残しけり君の功の高くもあるかな”(金原秀水)
 ちなみにこの胸像、銅でできていたため、大東亜戦争で供出し、台座だけしか無かったものを、創立90周年に当たって昭和41年に教育学部同窓会が働きかけて復元したのだそうです。